【開催レポート】セイリー育緒さんのフィルム写真ワークショップの様子

【開催レポート】セイリー育緒さんのフィルム写真ワークショップの様子

先日ソラリスにて、セイリー育緒さんをお迎えし、「フィルム写真を見せ合う会」+「フィルムカメラ MY TRIP35をつくろう」という2つのフィルム写真ワークショップを開催しました。

京都でフィルムカメラの修理ラボを営むセイリーさんは、『フィルムカメラを捨てないで欲しい。1台でも多く残したい。そしてまた他の誰かが使えるように修理して世の中に戻したい』という思いのもと、Film Camera Revivalというチームを結成し、デジタル世代に向け、フィルムカメラを取り入れたユニークライフの提案をされています。また自身も写真家として、2007年に土門拳文化賞を受賞され、現在も作品の制作を続けています。

セイリー育緒
「フィルムカメラ MY TRIP35をつくろう」WS終了後、みんなで記念写真

「フィルムカメラ MY TRIP35をつくろう」は、フィルムカメラのオリンパスTRIP35を自分で組み立て、自分だけのMyカメラに仕上げるワークショップ。組み立てたあとは裸のボディに、好きな革を貼ってお好みのカラーに仕上げました!

セイリー育緒
セイリー育緒

十人十色のTRIP35!自分好みに革を貼ると、愛着もひとしお湧きますね。こちらのWSについては、詳しくは前回のレポート記事をご覧ください!

そして前回作ったTRIP35で撮った写真をぜひ見せてほしい!ということもあり、同日開催した「フィルム写真を見せ合う会」。当日は、TRIP35作りWSに参加された方以外にも、フィルムで写真を撮っている、作品を作りたいという方が集まってくれました。

そのなかででた話は、いまフィルム写真を撮っている人、これから始めたいという人にとってヒントになるんじゃないかと感じる話が盛り沢山!そこで今回は、「フィルム写真を見せ合う会」の様子をレポートします。

以下、気になった言葉を抜粋して掲載させて頂きます。「」内はセイリーさんの発言(但し、会話の流れであったり、特定の写真を前にされてお話頂いた内容であることをご了承ください)。ぜひその空気感もふくめてお届けしたいので、セイリーさんの関西弁の喋り方そのままにWSの雰囲気をお楽しみください!

【セイリーさんフィルム写真を見せ合う会レポート】

セイリー育緒

はじめに

「カメラをガンガンやってても、やってなくても基本的に私は同じやと思ってるから、自分がどうしたいかっていう気持ちに向かってね、それぞれのペースで、人は人、自分は自分のペースでやっていきましょう」

「基本的に(見せ合う会は)ずっとやりたいな〜って。大体写真って長くやってたら飽きてくるねんやんか。いつも同じことやってるわ〜、みたいな感じで。そうじゃなくて常に、楽しいな〜、次やりたいな〜、もっとやりたいな〜と思えるペースを作りたいなと思ってて。そこで趣味でやっていくもよし、ガチで写真家になりたいと思うもよし。年齢関係ないから。そんな集まりにしたいなって思ってます。今日でサヨウナラやなしにね(笑)」

「上手いとかヘタとかそういうの全然ないし、あんまり技術的なことギャーギャー言いません。(技術は)自分のやりたいこと決まったら、あとからついてくるから。それよりも、人がどんな写真撮って、何を考えてはって、というのをよく見ることがすごい大事で」

「できればね、次から写真、セレクトせずに持ってきてほしいねん。自分でセレクトしたらもったいないねん。なんでかっていうと、自分がえぇと思ってるのと、そうでないのにわけて持ってきてしまうと、その時点で世界が狭なってんねん。自分がえぇと思ってなかったやつの方がすごい発見があるかもしれんし。失敗はないから、評価されることを気にせず、どんどん『これどうなんやろな〜』ていうのも持ってきてください」

組み写真で広げていく

最初に写真を並べたのは、Mさん。最近撮ったものと、30年位前に撮った写真を持って来られました。写真教えてもらったのが毎日新聞のカメラマンさんだったそうで、どちらかというと綺麗に撮るんじゃなくて、報道っぽい感じで撮るようになったそうです。最近は仕事柄、商品の写真を撮ることが多いそうですが、フィルムをまたやりだして、街歩きしながらスナップをもっとやってみたいなとのこと。

「いまこれ見てて思うのは、報道写真撮ってたって言うてはったやんか。報道写真って1枚勝負の写真なんよね。だから1枚1枚がすごく完結してる写真。でもこれ見てるとこの世界は、もう自分のなかである程度満足してはるんちゃうかな。だから幅を広げていくためには1枚完結じゃない写真を撮ってみたらどうかなって思って。単体写真じゃなくて組み写真で広げていくほうが、自分が写真と繋がりやすいのよね。で、完結してる写真をいっぱい並べて組み写真を作るわけじゃなくって、組み写真を作る場合は1枚1枚がそこで完結してたらあかんねん。なんか足りないものがあって、1枚見て分からへんから次を見る、もっと分からへんから次を見る、で最後見終わった時にこれやったんかというのが、組み写真。だからMさんがこれからやることとして、いままでやってなかったこととして、1枚1枚で決め込んでいくのじゃなく、『全体でひとつ』っていうのに挑戦してみると世界が広がっていくんじゃないかな」

セイリー育緒

ピントも露出もえーやん、どーでも!

「ピント合わせることに一生懸命になりすぎると、ピント合わせることにしか気持ちがいかへんねん。撮る瞬間ってな、もっと心がドキドキしてて、心が奪われてシャッターを切らなあかんと思ってんねん。でもピント合わせなっていう時点で、被写体から『ピント合わせること』に心が移ってるねんやんか。もったいないやんか(笑)。あと『露出が…』とか言うて露出計がピコピコしてるの見てたら、何見とんねん!って思うねん(笑)。えーやん、どーでも!特に構図とかも不純な感じで「あれ入れたほうがええかな?」みたいなんじゃなくて、これ!バシッ!みたいな。言うとくけど、ピントとか露出とか、ファインダー覗かずに撮るとか全然むずかしくないねん」

「えぇ写真撮りたいんやったらやっぱ露出は知っとかんとて思うかもしれんけどな、私が思うにやで、一番いい写真て例えばお母さんが自分の子供撮る時に、『ここ座り!』って言うて子どもダルなってんのに『笑えって言うたら笑え~!』て撮ってもな、露出とかピントとか構図とか、最悪の写真やと思うねんな。それで『うちの子めっちゃかわいく撮れた~』ってSNSしてきてもこれはあかんでって思うわけ。でもな、ほんま子どもってチャラチャラそのへん走ってて、ほんでいろんなこと次から次するわけ。そんなん、シャッターチャンスの宝庫やんか。そんなんいちいちピントとか合わせてたらアカンねん。撮ろうと思ったらもう画面から居らへんみたいなんが、一番えぇ写真やと思うねん。何が写ってるかというと、子どもがかわいくてしょうがないお母さんが、ヘタなんやけど一生懸命に撮ろうとして子どもにまた逃げられた、っていうその時間がきちっと写ってるっていうか、気持ちが写ってるっていうか」

「そんなん言うててもだんだん撮ってるうちに上手くなっていくから、まず最初に何を見るかっていうと、『何を撮りたいのか』『どこで自分はシャッター押したいのか』てことを一番最初に見つけてほしいねん。な?」

えぇ写真て言うのはいろいろある

「えぇ写真て言うのはいろいろある、てことやんな。で、自分がどこを目指してるか。この写真とかむっちゃええねんけど、逆にちょっとピントがあってへん、慌てて撮った感があったほうが私は好きなのね。なんでかというと、あまりにも完璧だと、えぇ写真撮りたいなぁ、えぇチャンスがあったらシャッター切りたいなぁ、と思ってじっと見てる感じがしてしまうねん。でもお母さんとかのヘタな写真ていうのは、子どもがあっち行った、こっち行った、足しか写ってへんかったりブレブレだったりするのよ。そういう雰囲気が写っているのが私は一番好きなんよね、それが写真かなぁって思ってて」

「それが1枚1枚ではなかなか、出てこないねん。1枚見せられても『足しか写ってへんわぁ』てなるんやけど、それが組み写真にしてバァ~って見せられると見えてくるわけよ、楽しかったんやろなぁというのが組み写真に出てくるというか。そういうところが目指してほしいところやなって私は思う」

「えぇなぁて思ってからシャッターを押すまでに3秒以内って決めとくねん。3秒しかなかったらピントと露出とか合わせてられへんから。チャチャッと。その時にオートフォーカスやったらアカンねん。オート露出とかオートフォーカスやと3秒以内でもちゃんとやってまいよるから、それ反則(笑)。で、そういうのを楽しみながらやっていきたいなと思って」

セイリー育緒

写っているコトと違うことを考えていける写真

次のYさんは、これまで展示に出したやつを持ってきてくれました。

「これ、次のステップの話をするとな、物語とかストーリーにつなげていく意識がまだなくて、『写真撮りたい、撮ってみたい』ていう、発見しようとしてる段階やと思うねん。で、この辺の写真になってくるとストーリーが出てくるっていうか。ようするに、1枚見て確認して終わる写真て言うのは勿体なくて、ここから次に広がっていくとか、写っているコトと違うことを見た人が考えていけるほうがよくて。この辺の写真だったら『面白いなぁ、かっこいいなぁ』ってことで終わっていくんやけど、逆にこの写真はかっこいい構図でもないし、劇的でもないわけよね。で、こういう写真を見ると、ここからどこに自分は運ばれていくのかなっていう興味があるよね。これを見せることによって、ここより別の場所に自分が連れて行かれるような、入り口的な写真になり始めてて。で、この写真とかね、『ここ見て!』ってポイントがないわけ。こっちの写真って、見てほしいポイントを自分で完全に作ってるわけ。背景のこれだったり、空の色だったり、見てほしいものを見つけてるんやけど、そうじゃなくて『この人、どれを撮りたかったんだろう。この中のこれかもしれへんし、これかもしれへんし…』ていうすべてのスポットへ均等に、撮った人の愛情がまんべんなく現れてる写真のほうが広がっていくと思うねんね」

じゃあこうしたら続くでっていう処方

「組み合わせ方を間違えると、やっぱりひろがっていかない、閉じた世界になっていく。これを撮ったんやって言いたくなる写真と、そうじゃないのとは見たらすぐわかるから、そこやと思うんやんか。これまで光を見てるっていうよりかはオブジェを見てるんよね。モノを見つけに行ってる感じで。これはもっと光を見てる感じで」

Yさん「変わってきてるのは自分でもわかってて、どっちがいいんかよくわかってなかったんです。いつも同じものを撮って、同じものしか出てこなくて、撮る意味がだんだんないような気がしてきて」

「そこなんよ、どうしたら続けていけるか。飽きるのよ絶対に。その飽きるのを食い止めたい。そのためにはどうしたらいいかっていうのを言いたいので、写真そのものをいいとか悪いとかっていう判断じゃなくって、いまこんな写真を撮ってるんだったら多分この辺で飽きるだろうから、じゃあこうしたら続くでっていう処方をしたいなって思ってて。それを聞いて、まぁ家に帰ってさっさと忘れてまた同じの撮ってもえぇねんけど(笑)。何回か来てるうちにだんだん、自分が何を撮る時が一番楽しくて、いい写真とか評価されてる写真と自分の思いの違いっていうのがわかってくると思う」

セイリー育緒

もう電線撮ったらアカン(笑)

次のYさんは、電線が好きなんですと言って、空を背景にした電線の写真をテーブルに並べました。

「電線じゃないとダメだの?ヒモじゃダメなの?何かをイメージしてるわけじゃなくて??」

Yさん「線が好きなのかもしれないです」

「電線てことにこだわってはないんだ、それはなんなんだろう?自分が電線を好きで、そればっかり撮ってウフフて言うてたらええねんけど、人に見せたい、自分が何を撮ってるか確認したいっていう意識があるわけやんか。そうじゃなくて、ただ電線好きやったら今日来てへんはずなんよね。何かを求めて今日来てて、それがどこに行きたいのかっていうのがまだ私には見えてなくて(笑)。電線で作品を作ってみたいのか、なぜこういうものに興味があるのか解き明かしたいのか、それかこの電線中毒から逃れたいのか(笑)どれなんやろう?」

Yさん「電線なら電線て単体のものしか撮れなくて、広い視野の写真が撮りたいなって最近思ってて。単体、これだけに注目してくれって写真は多分撮れるんですけど」

「わかった、もう電線撮ったらアカンわ(笑)。たぶんね、撮り始めた頃に『あ~、いい写真が撮れた』って思えるようになったきっかけが電線やったんやろなって。だから何かを撮ろうとして、撮れない時にここに逃げてるかもしれへん。電線て言うよりか、ごちゃごちゃしてへんとこに線があって被写体としてスッキリしてると思うんやんか。そういうものを撮ってるうちにそれしか自分が撮ってないことに疲れてきはって、今日来たんかもしれんね。ほんまはこの(電線の)下にあるものを撮りたいのかもしれんね」

なんで撮ったんかは後から考えよう

「自分が今撮ろうとしてるものの外を一回撮って、初めて元々自分は何をしたかったんかに戻ってきたほうが早道なんやんか。電線にまた戻るかもしれへんし、電線撮ったらアカンっていうのも、電線がダメって言ってるんじゃなくて、いま一回電線から離れたほうが、また電線に帰ってきた時に、「迷いの電線」じゃなくて「コレだぜ!電線」ていう違う視野にいけると思うねんやんか。だから、、、、とにかく上を向かない(笑)地上におりていこう」

「人にも興味あるんやんな。ちょっと写ってるもんね。恐る恐る入れてる感が満載やから、あんまり考えないで、自分が『あ!』って思ったものを一回試しにな、フィルム一本写ってたもんを持ってこよう。どんな感じに写っててもええねん。写すっていうよりも、普段自分が『あ!』って思ったものが何なのかを記録していくというのかな。で、それがなんで撮ったんかは後からみんなで考えよう。人任せに一回投げてみよう。とにかくな、歩いててこの広い世界のなかでコレ一応撮っとこうと思ったもんはバンバン撮っていってみる。で、その深層心理を次回はみんなで見ると。それを何回か繰り返していくうちに、あ、これかもしれんみたいなんが見えてくるんちゃう?無理やりやってみたほうがいいよね。撮りたいものじゃなくて、自分が吸い寄せられていくものを素直にカメラでシュッシュッて撮ってきて、みんなで見よう。人であろうが動物であろうが、上手いとかヘタとか、これ撮って人に見せたらどう思われるかとかも全然関係ないから。まったく自分の自由にして。そっから何を学ぼうとか後から考えたらええわけで」

セイリー育緒

頭のなかに持って、それを探しに行く練習

Kさんは最近撮った写真をもってきてくれました。

「さっき私が言ってた、コレや~っていう時にぱっと撮った写真に愛があふれるってこういう感じやね。何が写ってるかわからへんけどっていう。逆にこうなってくると、あざとい(笑)。彼の写真も単発写真なんやな。で、それぞれにタイトルみたいなんがこっちに飛んでくるねん。で、ミステリアスな部分がないっていうか、一言でいい得てしまうような写真が多くて、そこを今回彼に禁じ手を与えるとしたらそこやね」

「いまバラエティに富んだ色んな写真があるけどもストーリーをひとつ作って、最終的に作品を作るっていう意識を持ってやってみると急成長すると思うね。1枚を通してのコレ!じゃなくて写真全体を通してのコレ!ていう軸みたいなのが見えてくると、コレとコレに同じ軸が一本通ってるていうのが繋いでいくと」

「次の時までに意識して、テーマとかタイトルとかそういうことじゃないんやけど、自分が何を撮りたいかっていうのはまず頭のなかに持って、それを探しに行く練習をすると、多分すごい速い速度で次のステップにいけると思うねんやんか。自分がどういうものを目指して撮りたいのかっていうのをじっくり一回考えてみる必要があるよね」

セイリー育緒

これは、今あんたが産んだ卵や

Iさんは写ルンですで撮ったものと、卵をテーマにしたシリーズを持ってきてくれました。

「これ(卵をテーマにしたシリーズ)は何を表そうとしたん?」

Iさん『これは何を表そうとしたんだろう…』

「あかん、あかん、あかん(笑)!まずそういう時に、卵を何として扱うかってのを考えたほうがいいよね。これはただのゆでたまごなんか、これから命が宿ってなんか生まれてくると考えるのか、卵に見えて石なのか。この卵をどう捉えて自分が写真に撮るか、ビジュアル的に捉えるんじゃなくて、意味をね。たとえば、人に卵を渡して撮らせてもらう時に『この卵はね、ナントカの卵でね』って自分で勝手に話を作って、『この卵をこういう風に持ってて』ってやるとか。自分が常にリードしていかんと、絶対みんな困ってはると思うよ(笑)。撮る側が強い意志を持って相手を引っ張っていかんと、『わたしわからへんし、なんかして』ってなると向こうはもっと困るから(笑)」

「だから『これは、今あんたが産んだ卵や』とか、いろんなストーリーを思い描いて。作為的に撮る場合っていうのは、やっぱり撮る前の考えがすごい大事で。で、それを人に頼む場合は相手任せにしないで、細かいところまでこうしてくれ、ああしてくれっていうふうに言わないとあかんねん。だからこれ何撮ったん?て言う時に、『これは…』ってすぐに言えるといいよね。ていうことでもう一回卵に挑戦してみるのええんちゃう??」

いいなって思ってもらえる写真=作品って考えがちやけど、ちゃうねん

「作為的な写真と、スナップみたいな写真と全然違うわけじゃないから、結局自分が何を撮りたいか、撮ることによって何を見せたいか、確認したいのかっていうことが頭にないと、どうしても自分がわかってへんかったら他人はもっと分からへんわなって話になるねん。でも他人にわかってもらおうと思って撮ると本末転倒で、他人にわからせるために撮った写真ていうのは、一番他人に何も伝われへんのね。一番他人にわかってもらえる写真ていうのはまず自分とだけ向きあうねん。自分のなかだけを見て、徹底的に。自分が何考えてて、自分が何したいかっていうことだけ集中して考えてたら、それを見てる周りの人は一番わかりやすいのよね。こんなん撮って人にわかるんかなぐらいの、でも自分はこれを撮りたいしって。そういう自分との対話っていう」

「作品っていうのを作る時に、人にいいなって思ってもらえる写真=作品って考えがちやけど、ちゃうねん。人のことどうでもいいねん。まず撮る前に色々卵見たり、考えてみよう。そんなんすぐ撮れたら苦労せえへんから(笑)、時間かけていいからやってみよう!」

セイリー育緒

絶対写真って面白くなってくる

生活の中で、光の感じがすきで、家の中で撮るのが多いというAさん。

Aさん『こういう光っているところが好きで。これはこのスポンジの疲れ具合が自分やなって…』

「それやね!きれいな光を自分のカメラで撮れることが嬉しいっていう段階から、だんだんこれ私やわ….ていう段階に来てるんやと思う。そこから今度、自分へと向かってくると思うねん。モノを見て撮ってるのと、自分を見て撮ってるのってはっきり言ってすぐわかるからね。写真はすべてを隠さず写しだすから」

「やっぱり綺麗なものを綺麗に撮ってるだけの写真っていうのは、まず自分が飽きてくるから。なんでかっていうと、それはやっぱりカラッポやなていうことに気がついてくるわけ。結局みんなカメラ持って、写真撮って、こういう風に見せて集まって喋ってっていうのは、最終的にはみんな自分を探したいわけ。自分を照らしだしたいし、撮ることによって自分が何者かと、自分が何に憧れ、何に傷つき、何にモヤモヤしてるかっていうのをノートに書き留める感じでひとつひとつ向き合ってきてるわけやんか。だからそれが始まった時に、絶対写真って面白くなってきて、もう光を追う必要はなくって、これ自分やって思ったものをバンバン撮っていくっていうのはすごくよくて。それはモノだけじゃなくて、人物でも「あ!これ自分や」とかって思うのはすごく大事なことやねん。そのうちもう自分じゃない、「あ、これうちの子やわ」とか人物とその風景とが同じ線でつながってくるような見え方があるとまたどんどん面白くなってきて。そこをこれからやっていくしかないよね」

自分を撮ってる

「人がどう見るかとか考えんでいいから。とにかくまず自分が『これ自分や』って思ったものを純粋に撮ってきて。これ、自分を撮ったってわかってもらえるかなぁてのはナシで、これ見て『あぁ自分や』ってちゃんとわかるから大丈夫。そういうのがわかるような写真になってくるから大丈夫やから、そこをドンドンドンドン突き詰めて」

「自分を表すのはスポンジとかだけじゃなくて、たとえば息子の笑顔が自分を映し出してるわけやんか。息子の笑顔を撮る時っていうのは、それは息子を撮ってるんじゃなくて、息子に笑ってもらって喜んでる自分を撮ってるって思ったほうがいいよね。人を撮る時っていうのは、その人を撮ってるんじゃなくて、その人を撮ろうとしてる自分を写してるって思ったほうがいいよね。だからそういうふうにして人の写真を撮っていくと、誰を撮っても自分が写るわけ。そういうふうに考えていくといいと思います」

というわけであっという間の90分!

「みんな考えたくて来てるんよね。ただ、写真を見せ合いたいんじゃなくって、なんていうかな、『それかわいい~』ていう感じじゃなくて、みんな写真について抱えてきてるんやなぁていうのを感じたね。みんなちゃんとこの熱い思いを忘れんと次から次へと見せにまた来てや!まぁ、あの、辛くなってきても来てや(笑)!」

というセイリーさんからの言葉で、今回の『フィルム写真を見せ合う会』は終了しました。

終始笑いの絶えない様子を隣で聞きながら、1枚1枚の写真の良さっていうのは、被写体の面白さだったり、写っているモノが持っている面白さだったりするけれど、セイリーさんはその人が撮ってきた写真が何枚か並ぶと「この人こういうの面白がってるねんな」って見えてくる、そういう『撮った人のモノの見方』を見ているのを感じました。

私自身の体験として、被写体や構図を自分で思い描いて撮っていると、「あ、ここいらんもん入るからやめとこ」とか次第に写真が撮りづらくなってきます。自分で世界を狭めるんじゃなくて、思い切って「入っちゃったらどうなるんだろう」とか、写真を通して自分も知らなかった世界にどんどん出会ってしまうのが写真の魅力のひとつだと思います。今回話を聞いていて、参加された方にとって、写真がそんなふうに世界を広げるものになる予感を強く感じました。

参加者の皆さん、セイリーさん、ありがとうございました!

セイリーさんの『フィルム写真を見せ合う会』、次回は8/11(木・祝)に開催を予定しています。
詳細はまた決まり次第、WEBにてアップいたします。
ぜひまた次回、みなさんの写真がどんなふうに変化していくのか、楽しみにしております!


最終更新日:17年5月16日(火)