【ご紹介】「セイリー育緒さんと読む、写真論『明るい部屋』編」のチラ見せレポート

【ご紹介】「セイリー育緒さんと読む、写真論『明るい部屋』編」のチラ見せレポート


11月から始まる「セイリー育緒さんと読む写真論『明るい部屋』」。どんな内容なのかなと気になる方のために、東京・カロタイプで開催された同イベントの初回の話をほんの少し、チラ見せします!

セイリー育緒さんと読む写真論 〜ロラン・バルト「明るい部屋」編〜

いま、改めて「明るい部屋」

 

 基本的にはね、この本を足掛かりにして、写真をもっと深く理解する事がゴールやと思うしね、神経質に読破せんでも、書いてあることを自分の作品作りに役立てられたらそれでええんちゃうかなと私は思てます。

 バルトはね、車にはねられてなくなったんですよ。晩ご飯のあとにふらふらと歩いてて、配達の車にばーんと跳ねられて亡くなっているんですけど、フランスでは有名な学者で、とにかく新しい哲学をやっていこうやないかっていう、ほんまに魅力的な仕事をたくさん残した人なんですよ。

 8ページの3行目にね、「現代における『写真』の凄まじい普及にもかかわらず、私は『写真』なるものが存在するということ、それが固有の<精髄>をもつということを確信していなかったということである」って書かれてるでしょ?

 その問題提起ってね、実は過去の話やないよね。デジタルが出てきた今、我々はもう一回「写真」って何?ってところに戻されてるわけやん。今この本を改めて読むという事はね、過去の思想を勉強するためじゃなくてね、今を深く考えるチャンスなんやってことを念頭に置いとかんともったいないと思う。たびたびデジタルとフィルムの両存在についても考えながら読んでいってもらいたい。怖いほど今の時代の「写真」の本質を射抜いている写真論やと私は思てます。

バルトは嘆いている

 

 バルトはな、嘆いてんねん。写真論的なものは全部、報道/芸術/商業とかいうカテゴリ分けとか、フィルム/湿板/乾板とかの手段でしか分類されてこなかったと。それで「俺は独自の視点から写真の本質について論じるわ」て宣言してこの本を書き出した。彼は写真家やないので、それを撮られる側と見る側から論じていった。

 まずね、60年代から70年代にかけて、フランスって、哲学しまくるんよ。バルトはその中心的な人物の1人で、現象学とか社会学とかはもちろん、記号学についてはもう、文学批評から始まって、映画も写真もファッションも、あらゆる表現世界の古い思考体系にケンカ売って崩壊しまくった。

 彼はね、自分の哲学を〈表裏一体ながら相いれない二重構造〉をベースにして解き明かしていく人。その流れの最後の方に書かれたのがこの本なんで、彼の書いてることを読み解くにはやっぱり最小限『記号』とか『記号論』っていうキーワードを知っている必要はあると思う。ま、もう少し遡って『イデオロギー』『現象学』『構造主義』『ポスト構造主義』くらいのことは、私の説明をちょろっと聞いとく方がいいんじゃないかな。

刷り込まれてる「記号」

 

 記号論の世界っていうのはね、現象や事象を記号に置き換えて捉える学問なんやんか。簡単に言えば、私が「危険や!」って言うたら、その瞬間みんなは「ヤバいな」「何か怖いことが起こるな」って身構えるやろ?それはなんでかって言うと「危険」って聞いたらヤバいて感じるように刷り込まれてるからやんね。「危険」って聞いて「あ、ビール飲みたいな」とはならんように、教育でコントロールされてる。それが記号化。同じ文字を見たり、同じ音を耳にしたら、同じ何かをイメージする。それが記号化。

 これって、注意しないと権力や政治が社会をコントロールするために利用してまう。例えば小学校で国語の授業でね、まず長い例文があって、それに対して、「タケル君はどうして泣いたのでしょう?」って問われる。あらかじめ正解が用意されていて、全員がその正解を強要される。「全員が同じ答えにたどり着く=読み解く」っていうのが学校の教育やん?

 ま、私なら「タケルは急にすんごく腹が痛くなったんやで多分」とか答えて不正解にされつつ、「そんなんタケル呼んで確認せんとわからんやんか!」って反発して困らせるけど、バルトはね、緻密に冷徹に記号がいかに歪んだ形で利用されているかを暴いていった人なんよ。

 血の通った温かい哲学

 

 じゃ、写真の世界にそれを当てはめてみるとどうなるか。新聞の報道写真は、典型的な標識の固まりやから、最もわかりやすいと思う。血を流している人間、壊れた建物、ライフル銃、戦車、そんなものが写っているのを見て、「わー行ってみたいな、どこのリゾート地やろ?」とは思わんわけで。見た瞬間に、戦争やな、ヤバいなと思わせないと、この写真は成り立たない。たった1枚で多くの人に不安感を拡散しなければ意味がない。報道写真には、そういうお約束の記号があふれてる。つまり、こんなふうに、記号を受け取ること=写真を見ること、って考えるのが、記号論的な写真解釈。

 それに対して正面から「この写真はこう見るべきやって想定してしまったら、記号の壁の外側へ広がっていかんやんか。それ、ひとつの歪んだ概念として証明したるわ」って言ったのがバルトやねん。「こういう見方が正解ですね」っていう教育的解釈の仕方に拒絶を示して、あえて個人的な、つまり“人それぞれの感動”みたいな曖昧な出発点から写真の本質を探り出そうとしたわけね。

 ここで注意せなあかんのは、これが“オレ様中心論”ではないってこと。むしろその対極の位置付けなんやという点ね。みんな正しんだよねーだって自由だもんねー的なエゴこそが実は構造主義的な記号論の産物であって、最も不自由な思考やないの?それを徹底的に脱構築してからもう一度“私”って何かを考えなあかんのちゃう?っていうのが、バルトが言及してる「個別学」なんよね。

 これこそが本当に血の通った温かい哲学やて私は思うんです。だからそれがみんなに伝わるように、あの手この手で頑張るし、聞いてみて。

これが初回ゼミの10%くらいのボリュームです。もっともっと知りたい人は、まず初回にお試し参加で遊びに来てください!

初回授業は、11月17日(金)と24日(金)に同じプログラムを2回やりますので、都合のいい方を選んでください。お試し参加は、3,000円。そのまま講座に申し込む方は差額だけ頂きます。

 セイリーさんからのメッセージ!

セイリー育緒さんと読む写真論 〜ロラン・バルト「明るい部屋」編〜

初回開催日・11/24(金)19時〜21時
のいずれかご都合の良い方
回数全5回
講師セイリー育緒
会場ソラリス(地図
受講料¥27,000(初回お試し参加 ¥3,000)
定員12名(最少開講人数5名)
※定員に達し次第募集を締め切りとなります。
初回の持ち物・ロラン・バルト「明るい部屋」 みすず書房
・筆記用具
※お試しは、筆記用具のみでOK
プログラム内容全5回

第1回 11/24(金)19時〜21時
第2回 12/15(金)19時〜21時
第3回 01/19(金)19時〜21時
第4回 02/16(金)19時〜21時
第5回 03/16(金)19時〜21時

※第1回目は¥3,000でお試し参加できます。そのまま講座に申し込む方は残額をいただきます。
※京都にて補講可能

セイリー育緒(Film Camera Revival 代表)

セイリー育緒さんのフィルムカメラ・ワークショップ「MY TRIP35をつくろう」

京都市生まれ。東京、メキシコシティ、ハリウッド、サンフランシスコなどに暮らし、現在は再び京都市在住。カメラ修理の名人として知られる直井浩明氏のもと、唯一の弟子として学ぶ。機械式カメラ修理歴18年。デジタル世代に向け、フィルムカメラを取り入れたユニークライフを提案するFilm Camera Revivalの代表。写真家としても2007年に土門拳文化賞を受賞。写真集に「Whiskey drinking troubadour/酔いどれ吟遊詩人」(窓社)、著書に「I love フィルムカメラ」(技術評論社)。

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