【開催レポート】大和田良「写真相談会」の様子

【開催レポート】大和田良「写真相談会」の様子

ソラリスで開催中の、大和田良 企画展「宣言下日誌」。その会期中イベントとして12/19(日)、大和田良さんをお迎えして、写真のレビューやテーマ、機材、技法など写真に関する様々な相談に応じる「写真相談会」を開催いたしました。

大和田良

今日は、そんな写真相談会の様子をちょっとだけご紹介します。

大和田良

今回は講評のなかで挙がった話題、気になった言葉を抜粋して掲載させていただきます。

「」内は大和田さんの発言です。ところどころ会話の流れであったり、特定の写真を前にされてお話頂いた内容ですので、わかりにくいところもあるかもしれませんがご容赦ください。少しでも読む人にとって、写真のヒントになれば嬉しく思います。

まずはAさんからスタート!

大和田良

Aさん(夜明けの風景や花などの写真)

「写真って<ありのまま>に撮るというのが基本にあって。その<ありのまま>に撮るということを考えてみると2つに分かれるんですね。一つは現実の複写というか、客観的にリアリティをそのまま写し込むということ。もう一つはもっと俯瞰的に、自分が見た風景を自分の見た印象として捉える、そういう意味での<ありのまま>という方法があって。どちらかというと今捉えようとしているのは、後者、心象として捉えようとしていると思うんですね。」

「それは目の前の世界に対する反応みたいなものですよね。だからその<反応を捉えるという感覚>を自分で意識することは、すごく重要になってくる。花の写真も、花の造形を捉えようとしているんじゃなくて、結果的にいうと自分の反応を捉えようとしているというのが今回の写真からは見えてきます。そうなると極端な話、写ってなくてもいいみたいなことなんですよ(笑)。だからちゃんと捉えてる写真ってのは、捉えようとしたイメージと齟齬があるというか。もっと抽象化した世界観を捉えるというのが必要になってくるんじゃないかな。」

「自分の反応を抽象化して、うまく写しすぎない方法というのを試していくと面白いんじゃないかなと思いますね。」

質問:何を軸にしてまとめていったらいいのか

「その辺りも自分の意識をまとめていくってことだと思うんで、この場所・風景をまとめていくっていいうよりは、自分の意識・世界への反応みたいなのをステートメントにしていくってのがいいと思いますね。」

大和田良

Kさん(モノクロでのスナップ)

ずっとフィルムでモノクロを撮っていて、そろそろデジタルにと考えていて、両方で撮ったのを持ってきたんですけど

「全体の印象として、デジタルの写真ってのはデジカメの意味ということよりも、フィルムの代替えとしての意味合いが強く感じるので、そういう部分ではフィルムの方が撮影していることの身体感覚というのはダイレクトに現れている気がします。」

「写真がある程度取れるっていう前提があるんでそこが大きいのかもしれないですね。写真がなかなかどう撮ればいいかわからないという段階の人だといろんな方向に行けるんですけど、Kさんの場合撮れちゃうから逆に悩むというか、そういうところがあると思いますね。」

「デジタルでも撮れるということであれば、全然そっちの方が先があるというか、デジタルに移行するべきな気がしますけどね。あとは撮り口というか、自分に合うデジタルカメラが見つかると全然変わる気がしますけどね。今は何を使ってるんですか?」
SONYのR100とR7IIを使っていて、
「フィルムの時は?」
ローライフレックスです。
「そうなると何だろう….。じゃあもうあれじゃないですか、LEICAのM10とかを(笑)。一気にもうデジタルやるしかないと追い込むというか(笑)、LEICA M9とか。まぁ割と冗談抜きで、高いカメラを買ってそっちに行かざるをえないようにするというのはいい処方箋かなと思いますね。レンズをどうするかというのはありますけど(笑)」

こういう写真を撮っていると起承転結がないというか、何かテーマを絞った方がいいんですか
「でもそれっていうのは内容の問題なんで。モノクロの写真っていうのはモノクロの写真があって、なんかいいなぁみたいなことでも全然良くて。もちろん写真から読み取れることとか、写真を見る醍醐味みたいなのはいっぱいあるんですけど、始まりとしては内容はあまり関係なくてモノクロの写真があるというその状態だけでいいんで。白と黒で表された何らかの情景が写されてる、それが写真の面白さだと思うので。写真を見に来る人っていうのは、その作家のことが知りたいっていうよりも、やっぱり写真が見たいってことなので。その辺りは自由に撮っていった方がいいかと思いますよ。」

大和田良

Nさん(曖昧なものを撮ろうとしている)

「どっちも通底するテーマというか、何らかの生命力を感じる風景を捉えているというのは共通してあると思うので、表そうとしているものはどちらも大きく変わっているわけではないと思うんですね。撮り方だったり機材を自分の中で調和するものを見つけることが重要になる気がしますね。撮りにくい機材の方がイメージをつかみやすくなるかもしれませんね。撮りやすいといろいろ試したりとかいっぱい撮ったりできるんですけど、いっぱい撮ることが重要じゃなくて、何となくイメージが掬い撮れたとかそういう感覚の方が重要かなって思うんですよ。」

「例えばソフトフォーカスのレンズとか、ピンホールみたいなのだったりとか、試してみてもいいのかなって思いますけど。どうすれば写りすぎないのか考えるべきポイントのような気がしますね。」

自分ではもうちょっと意味を捉えすぎない不完全なものを撮りたいんです
「僕自身もそういう写りすぎない何かっていうものを捉えようとする時には、コロジオンとかサイアノとかオルタナティブなプロセスを使ったりしますけど、そういう意味では多重露光も有効な方法かなと思います。これを見る限り、ピントがうまく合ってない写真やブレがある写真だったりとか、その辺りをうまく使えるとすごくいい感じがしますよね。シフトレンズを使うってのも面白い方法かもしれませんね。」

大和田良

Aさん(10代のポートレート)

「捉えているイメージとしてはしっかり表現されていていい写真が多いような気がしますけど、ここから変えていくとして、自然な方向に向かうのか、作り込んでいく方向に向かうのかという2つの方向性があると思うんですけど、ご自身としてはどちらが好きなんですか」

もっと10代の危うさみたいなのを撮りたいと思っていて、そうなった時に抽象的な方があってくるのかなって思ってるんですけど
「見ていてもアンバランスな感じとか危うい感じてのを捉えていくともちろん面白いと思いますし、よりジェンダーレスな感じ、男性性とか女性性が希薄な10代特有の気配見たいもの、そういうものが写ってくると今自分がイメージしているものに近いんではないかと思いますね。10代ってやっぱりそういう男性・女性っていう以上に10代っていう気配の方が濃厚でそれが出てくるといいですね」

「今、割とストレートに撮影されてるじゃないですか。だからそこに色だったり捉え方だっったり、意図的に偏りがある、アンバランスなイメージを作っていくというのが方法としては一つあると思うんですね。ちょっとした仕上がりのイメージが見えてくれば、一気にそっちにシフトしていきそうに見えますけどね」

「撮り方とか技法とか機材の問題とちょっと違って、自分が目の前の被写体をフレーミングする意識の問題っていうのが結構ここでは強くなると思うんです。なので何らかの技法を模倣するというよりかは、意識をスイッチするという感じですかね。例えばさっき言ったようなジェンダーレスなイメージを撮っていると意識を変えたとすると距離感とかも全然違うイメージを撮ると思うんですよ。だからその意識の問題で写真が大きく変わると思います。」

「表現というより、ある意味ではジャーナリスティックな感覚というか、ピンポイントなテーマが変化するだけで写真も大きく変わるだろうし、そういうテーマを捉えようとしている自分の意識はどこから生まれているのか、それを取ろうとする自分なりの理由を突き詰めていった時に、自分がイメージとして寄り添うべき言葉・意識が見つかりそうな気がするんで。その感覚でこのステートメントを見るとまだぼやっとしているところがあるんで、その本質というか、その霧が晴れると一気にイメージが変わると思うんで。そのあたりをぜひ突き詰めてください。」

大和田良

Nさん(花など)

「花(をテーマにした作品)の方も面白いと思うんですけど、多分どこかで壁ができるというか、これ以上どう進めればいいかわからないとか、ある程度撮りきってしまったりということが多分出てくると思うので、そういう意味では自分の中である程度長いスパンで取り組むプランみたいのを決めておくと、空く時間というか撮らなくていい期間が出てくるところがあって、そこで例えば人物の写真を撮ったりとか組めると思うんで、特に花の写真なんかは季節だったり撮れる期間が決まってきたりするので、プランを立てて計画的に撮っていくのがいいんじゃないでしょうか。そうすると利点としては、さっき言ったみたいに空く時間ができるのが一つ、もう一つはこれ以上どう撮ったらいいかわからないみたいな時期がプランがあるとうまく回避できるんですね。例えば、春にはこれを夏にはこれを取らなきゃいけないということがあると、撮れなくなるということがなくなるんですね。撮らないといけないんで(笑)。これは僕も自分でも使う方法で、同時並行にいろんなシリーズを持つんですが一つのシリーズに集中しすぎないというか。そうするとそれぞれのシリーズがスケジュールに従って集中すればいいので、自分の意識の切り替えがスムーズになって、撮れなくなったりとか悩むことが物理的に少なくなる。Nさんの場合、いくつかシリーズの構想を持って作っていくほうが向いている気がしますよ。」
(後でお伺いしたところ、大和田さんは今、5つくらいのプロジェクトを同時並行で制作されているそうです!)

「普段は気にしないものでも写真にして改めて見ると面白いものっていっぱいあって、静物としてもう一つくらいテーマを持っておくといいかもしれないですね。今はなくても、いつも考えておくと、あるとき何か急に見つかると思うんで。」

大和田良

Oさん(身の回りのものなど)

「(写真を撮り始めて約一年ということを受けて)撮ってて一番面白い被写体とかってあります?」
この中だったら電車の中から撮ってるものだったり、町歩きしながら撮ってるのが楽しいです
「車窓の風景ってことですよね、このあたりの鹿とか水族館の写真は撮ってて楽しい感じですか」
あんまり深くは考えてなくて撮ってる感じですね
「この中で見ていくと2つの写真に分かれているところがあって、一つは被写体に撮れって言われて撮っている写真と、自分が撮りたくて撮っている写真。まずはその二つの違いを自分の中で意識すると写真のセレクトが変わってきます。僕も猫がいて気になったら撮ると思うし、鹿がいると撮ると思うんですけど、でもそれってよっぽど写真として成立してないと作品としてセレクトするってことはないと思うんです。だからそのあたりを考えると、自分で撮ってる写真か、撮らされてる写真かってことを考えると。結構大事なのは写真って撮るのも重要なんですけど、何をセレクトするかが大事になってくる。例えば200枚撮ったとして、その中から自分が気にいるのって数枚で、その数枚に何を選ぶかが重要で、そこで撮らされてる写真を選んでしまうとオリジナリティがなくなっていってしまうんですね。」

「写真を見てて面白いなぁと感じるのは、すごく端的にいうとなんでこの人こんな写真撮ってるんだろうという感覚なんですよ。綺麗とか美しいなぁとかももちろんあるんですけど、それは写真の評価とあまり関係ないというか。写真が好きな人でもそうでない人でも、綺麗な写真は綺麗だし、美しい写真は美しいし。あんまりその表面的なもの以上のことを深掘りする必要がない写真になっていくんですね。だから面白い写真というのは綺麗とか美しいとかいうよりも、なんとなく不思議な写真、この写真なんなんだろうとか、なんでこの人こんな写真撮ってるんだろうとか、そういうことだったりするんですね。それって結局写真を通して出てる自分の視点みたいなもので、そこがまず重要で。だからセレクトの時にそれを意識してセレクトしていくと。撮るときはいいんですよ、いっぱい撮って。でもそれをセレクトするときにシビアに考えていくと写真が全然変わっていくんで。」

「そういう感覚って芸術の一番基本的な機能なんですよ。芸術はいろんな考え方がりますけど、それを見たり体験することで、その人の価値観だったりとか視点、考え方だったりとかそういうのを解体して再構築する機能があるんですね。だからそれを見た時にこんな風に見えるんだとか、こういう風にこの人考えてるんだとか、自分の持ってた価値観が解体されて、その後見る景色が変わったりとか。そういう解体と再構築があることで芸術って機能するんですね。なので誰もがすでに持ってる価値観のものを見てもなかなか価値観は解体されない。それよりもその人の視点が出てくることが重要なんですね。」

先生は自分が作品制作をする時に譲れないものってありますか?
「なんでしょうね….。まぁ、常に新しい写真を探そうということですね。どうしても今までやられていることだったりとか既存の方法とかになってしまうと、やっぱり自分の作ってる意味がなくなっちゃうので、新しいものを作ろうとするし、新しいものを作るためにいろんなものを見るというところがあるかもしれませんね。もうやられてることとか、そういうことにはならないようにリサーチしながら作っているところがありますね。」

作家として活躍されている方と、そうじゃない方がいると思うんですけどその差ってなんだと思われますか?
「そこはまず一つは積極的に人に見せようとできるかどうかってところがあって。写真ってみんな撮れるし、実際にはクオリティの差ってそんなにないんですよ。もちろんアイデアとかそういうところでは差はあるんですけど、それが世の中に認められるかどうかっていうのは、運の要素のもありますけど、どれくらいの人がそれを助けてくれるかとか、興味を持って広めてくれるかというところなんで、それもアートの一つの方法論ですけど、どれだけ人を巻き込めるかということなんですよ。人を良くも悪くも巻き込める人は作家になっていきますよ。そこの差はあるかもしれないですね。」

というわけで濃密な時間になった写真相談会。参加者の方の言葉に耳を傾け、わずかな時間で的確にアドバイスを言語化されていく様子は見ていて大和田さんの写真家としての姿とともに、教育者としての姿を感じるものでした。参加者の皆さま、そして大和田さん、長い時間まことにありがとうございました!

大和田良

ソラリスでは12月26日(日)まで、大和田良さんの写真展『宣言下日誌』を開催しております。

2020年の緊急事態宣言下に大和田さんが撮影していた写真と、日々の記録を綴った『宣言下日誌』。そして大和田さんが98年〜20年の間に撮られた膨大なスナップ写真を一冊にまとめた写真集『R』をミックスした展覧会です。 写真集も多数ご用意しておりますので、ぜひゆっくりとお楽しみください。


最終更新日:21年12月22日(水)